Mag-log in東條ホールディングスの本社ビルでは、来月の創立記念パーティーに向けた準備が進められていた。怜司は社長室で、各部署から提出された報告書に目を通していた。「失礼いたします」ノックとともに、桐谷が入ってきた。「創立記念パーティーの件で、ご報告がございます」「ああ。何か問題でも?」「いえ、準備自体は順調です。ただ……」桐谷は少し言い淀んだ。「東條恭介様から、招待客についてお問い合わせがありました」怜司の手が止まった。「……恭介が?」「はい。今回の招待客の顔ぶれを確認したいとのことでした」「それで?」「正式な招待客一覧は、まだお渡ししておりません。確認のうえ、ご連絡するとお伝えしました」「そうか」怜司は資料を机に置いた。恭介が創立記念パーティーに関心を持つこと自体は、不思議ではない。東條家の一員として、これまでも何度か出席している。だが、招待客の一覧をわざわざ確認しようとするのは珍しかった。「ほかに何か聞かれたか?」「……社長のご同伴者についても」怜司はわずかに眉を寄せた。「詳しく話せ」「今年はどなたかお連れになるのか教えてほしい、と」「……そうか」「白石さんのお名前は、お伝えしておりません」「分かった。ありがとう」桐谷は一礼したが、すぐには退出しなかった。「……社長」「何だ?」「差し出がましいことかもしれませんが、白石さんをお連れになる件は、社内でも話題になるかと思います」「そうだろうな」「よろしいのでしょうか」怜司は桐谷を見上げた。「何が?」「……いえ。以前、秘書を務めていた方ですので」「問題ない」怜司は静かに答えた。「彼女との関係を隠すつもりはない」「……承知いたしました」桐谷はそれ以上何も言わず、部屋を出ていった。扉が閉まると、怜司は椅子の背にもたれた。恭介。幼い頃から、あの男が何を考えているのか分からないことは珍しくなかった。人当たりがよく、誰にでも気さくに接する。その一方で、相手の弱みを見つけることには妙に長けていた。以前から、自分に対して複雑な感情を抱いていることも知っている。ただ、最近の恭介は少し様子が違った。これまで会社の経営にはほとんど関心を示さなかったはずなのに、ここにきて役員や取引先との接触を増やしているという話も耳に入っている。怜司はしばらく考えたあと、
『……今年は、俺と一緒に出席してくれないか』「……え?」怜司さんの放った言葉を理解するのに、長い時間を要した。「私が、ですか?」『そうだよ』「……会社の記念パーティーにですよね」『そうだ』「でも、私はもう秘書では……」『紗奈、秘書として誘ってるわけじゃない』怜司さんは、私の言葉を遮るように答えた。『恋人として一緒に来てほしいんだ』心の何処かでそうだろうと思っていた答えが、実際に怜司さんの口から放たれる。「……恋人として」『ああ』私は思わず黙り込んでしまった。あのパーティーがどんな場所なのか、よく知っている。大勢の経営者や役員、その家族が集まる華やかな会場。そこに、怜司さんの恋人として出席する。それは、ただ二人で食事に行くのとはまったく違う意味を持つ。「……怜司さん」『どうした』「私が一緒に行ったら、いろいろ聞かれると思います」『そうだろうな』「以前、秘書をしていたことも、知っている方がいるでしょうし……」『ああ。聞かれたら、正直に話せばいい』「……馴れ初めとかも、聞かれるかもしれません」『そうだな。出張先で再会して、俺が必死に口説いたってことにしようか』「……怜司さんが必死になるなんて、信憑性に欠けます」『何言ってる、ここ最近はずっと必死だ。何度も会いに行ったし、振り向いてもらうのに苦労したからな』心外そうに言う怜司さんに、思わず笑ってしまった。「そんなふうに言ったら、私がずいぶん冷たい人みたいじゃないですか」『口説き落とすのに苦労したのは事実だろ?』「……もう」怜司さんが楽しそうに笑った。つられて笑いながらも、ふと、別の不安が胸をよぎった。「それに、私は……」湊がいる。恋人として紹介されるだけなら、まだいい。けれど、私に子供がいると知られたら、きっとその父親についても聞かれるだろう。怜司さんは、何も言わずに続きを待ってくれていた。「……湊のことも、知られるかもしれません」『ああ』「私たちの関係が知られたら、怜司さんのお仕事に影響が出ることだって……」『紗奈』静かな声だった。『君と湊の存在と、仕事は全くの別物だ』「……でも」『君が心配してくれてるのは伝わっている。ありがとう』その言葉に、胸が詰まった。『ただ、俺は君たちを隠しておきたいわけじゃない』「……はい」『も
穏やかな日差しが差し込む午後三時。怜司は社長室で、来月開催される創立記念パーティーの資料に目を通していた。東條ホールディングスの役員をはじめ、主要取引先の経営者やその家族が招かれる、年に一度の催しだ。以前は紗奈も、その準備に携わっていた。招待客の管理から当日の進行まで、細かなところによく気がつく秘書だった。あの頃は彼女がどれほど自分を支えてくれていたのか、十分に理解していなかった。「失礼いたします」ノックのあと、桐谷が入ってきた。「創立記念パーティーについて、確認事項がございます」「ああ」桐谷は手元の資料を開いた。「招待状の発送準備は、ほぼ完了しております。それと、当日のご同伴者についてですが」「同伴者?」「はい。例年どおり、お一人でのご出席でよろしいでしょうか」怜司は少し考えた。これまで、誰かを伴って出席したいと思ったことはなかった。だが、今年は違う。「……いや。今年は連れていきたい人がいる」桐谷の手が、一瞬止まった。「……そうですか」「ああ。まだ本人には話していないが」「承知いたしました。お決まりになりましたら、お知らせください」「分かった」桐谷は静かに頭を下げ、部屋を出ていった。一人になった怜司は、椅子の背にもたれた。紗奈を誘いたい。もちろん元秘書としてではなく、恋人として。ただ、彼女はあの場所がどういうところかを知っている。自分の隣に立つことを、簡単には受け入れないだろう。湊のこともある。それでも、もう隠すつもりはなかった。二年前、紗奈は何も告げずに姿を消した。あのときの彼女が、何について悩んでいたのか。今なら少しは分かる気がする。だからこそ、今度は自分から手を伸ばすと決めた。『紗奈、今夜電話をしてもいいか』湊はちょうど昼寝していたのだろう。メッセージを送ると、すぐに返事が返ってきた。「もちろんです。待ってますね」思わず口角が上がった自分自身を自覚し、腑抜けになったものだと自嘲した。***その日の夜。湊を寝かしつけてリビングに戻ると、ちょうど電話が鳴った。「もしもし、怜司さん?」『紗奈、こんばんは』「こんばんは。お仕事、お疲れさまです」『ありがとう。湊はもう寝たか?』「はい。今日はお昼寝が長かったので、寝かしつけに時間がかかりました」『そうか、お疲れ様。今日は何して遊んだん
晴れた日。私は湊を連れて、駅前の商業施設へ買い物に来ていた。日用品を買い終え、少し休憩しようと一階のカフェに立ち寄る。窓際の席にベビーカーを寄せ、湊に麦茶を飲ませた。「……まんま」「もう少ししたら、おやつにしようね」そう言ってバッグを開いたときだった。「あの、すみません」突然、声をかけられた。顔を上げると、スーツ姿の男性が立っていた。三十代前半くらいだろうか。整った顔立ちに、穏やかな笑みを浮かべている。「これ、落とされませんでしたか?」差し出された手には、小さなハンカチがあった。「あっ……!」見覚えのある柄だった。湊のハンカチだ。「ありがとうございます!」慌てて受け取る。「助かりました。全然気づかなくて」「いえ。お子さんのものかなと思ったので」男性はにこやかに笑った。そのとき、湊が男性を見上げた。「……あ!」「……ああ、こんにちは」男性は一瞬、何かに気づいたように湊の顔を見つめた。けれどすぐに穏やかな笑みを浮かべ、少し身をかがめる。「元気だね」ほんの一瞬のことだったので、私は特に気に留めなかった。「……あー!」湊は嬉しそうに声を上げた。「人見知りしないんですね」「最近は、だいぶ慣れてきたみたいで」「そうなんですか」男性は湊に手を振った。「じゃあね」「あの、本当にありがとうございました」「お気になさらず」そう言って立ち去ろうとした男性が、ふと足を止めた。「……失礼ですが」「はい?」「どこかでお会いしたこと、ありませんか?」私は首を傾げた。「……いえ。たぶん、初めてだと思います」「そうですか。すみません、知人に少し似ていたものですから」男性は困ったように笑った。「では」軽く会釈をして、今度こそ店を出ていった。私はその後ろ姿を見送った。感じのいい人で良かった。それ以上、特に気に留めることもなく、湊に向き直った。「湊、ハンカチ落としちゃ駄目だよ」「……ん!」分かっているのかいないのか、湊は元気よく返事をした。***商業施設を出た恭介は、停めてあった車の後部座席に乗り込んだ。「どうでしたか?」運転席の女が尋ねる。「……悪くないですね」恭介はネクタイを緩めた。「写真より、ずっと可愛いじゃないですか」「……そうですか」「子供もなかなか愛想が良くて」恭介は窓の外に
都内のホテルのラウンジで、恭介は一枚の写真を眺めていた。白石紗奈。かつて怜司の秘書を務めていた女性。そして今、怜司が足繁く通っている相手だ。写真には、小さな子供を抱いた紗奈が写っていた。子供は帽子を深くかぶっており、顔立ちまではよく分からない「……へえ」恭介は指先で写真を持ち上げた。「案外、普通の女だなあ」向かいに座る女は、何も答えなかった。「もっと派手な女かと思っていました。怜司のことだから」「以前は、社長の秘書をされてたとか」「らしいね」恭介は、つまらなそうに写真をテーブルに置いた。「それで、今は?」「ご実家で暮らしているようです」「仕事は?」「勤務先を今調べさせてるところです」「そう」恭介はコーヒーを一口飲んだ。「子供の父親は?」「……そこまでは」「まあ、いいでしょう」恭介は微笑んだ。「本人に聞けば済む話ですし」「……直接、会われるおつもり?」「その方が早い」「……突然接触すれば、彼の耳に入る可能性も」「入らなければいいでしょう」恭介は、何でもないことのように答えた。「偶然会っただけなら、問題ないのでは?」女は黙り込んだ。恭介は再び写真を手に取った。紗奈は腕の中の子供を見つめ、幸せそうに微笑んでいる。「……それにしても」恭介は目を細めた。「怜司が、子持ちの女ね」口元に、薄い笑みが浮かぶ。「親父が知ったらさぞ面白いでしょう。昔から、あの人は自分のことを棚に上げるのが得意だから」女は返事をしなかった。「……で、彼女の普段の行動は?」「お子さんを連れて、駅前の商業施設を利用することが多いようです」恭介は静かに聞きながら、これからの行動を考えていた。***月曜日の夜。怜司さんから、珍しく少し遅い時間に電話があった。『遅くにすまない。湊はもう寝たか?』「はい。さっき寝たところです」『そうか。今日もお疲れ』「怜司さんこそ。まだお仕事ですか?」『今、帰るところだ』「……遅いですね」『少し立て込んでてね』声には疲れが滲んでいた。「ちゃんと夕食は食べました?」『……まだ』「もう」思わず眉を寄せる。「忙しいのは分かりますけど、身体を壊したら大変ですよ」『怒られたな』「怒ってます」『それは困った』楽しそうな声だった。「……笑い事じゃないです」『ごめん。帰っ
土曜日の朝。目を覚まして最初に、昨夜届いた怜司さんからのメッセージを眺めた。『今日はありがとう。おやすみ、紗奈』何度読み返したか分からない。私は布団の中で、そっと唇に指を当てた。昨日怜司さんとキスをした。『俺は、君の恋人になりたい』二年前をふと思い出す。彼の隣に立つことさえ、どこか恐れ多く感じていた。あの頃の私は、怜司さんにとって自分がどんな存在なのか、確かめる勇気すらなかったのだ。それなのに今私は彼の恋人になっている。まだ夢を見ているようだった。「……ままぁ」隣から小さな手が伸びてきた。「おはよう、湊」寝ぼけ眼の湊が、頬をぺたぺたと触ってくる。「よく眠れた?」「ん!」元気よく返事をした湊を抱き寄せた。昨日怜司さんの腕の中で眠っていた姿が浮かぶ。気づけば湊は、怜司さんに安心して甘えられるようになっていた。少し前まで怜司さんは、湊にとってたまに会う大人の一人だったのに。退院後には、顔を見るだけで喜ぶようになっている。そのことがこの上なく嬉しかった。この子にはたくさん寂しい思いをさせてしまったかもしれない。それでもこれからは、湊が望むときにお父さんに甘えられるようにしてあげたい。私は湊の額にキスをした。「今日もいっぱい遊ぼうね」「んー!」満面の笑みを浮かべる湊の写真を撮り、怜司さんに送った。こんな何気ない瞬間をためらわずに伝えられる。それが何よりたまらなく嬉しかった。***朝食を終えた頃、怜司さんから電話がかかってきた。『おはよう、紗奈』「おはようございます」『昨日は、よく眠れた?』「……あまり」正直に答えると、電話の向こうで笑い声がした。『俺もだよ』「怜司さんも?」『ああ。嬉しくて、なかなか寝つけなかった』そんなことを真面目な声で言うから困ってしまう。「……あまり、そういうこと言わないでください」『どうして?』「……なんて答えればいいかわからないからです」怜司さんが電話口で吹き出したのがわかった。『恋人になったんだから、慣れていってくれたら嬉しいが』恋人。その響きに、また胸が高鳴った。『ただ、少し反省している』「……何をですか?」『君に触れたら、思っていた以上に余裕がなくなった。昨日あそこまでする気はなかったんだ』頬が一気に熱くなる。「……っ、怜司さん!」『す







